2016年4月12日火曜日

わが神を楽しむ

わが神を楽しむ 
 

「わたしは主を大いに喜び、わが魂はわが神を楽しむ」 
                   (イザヤ61:10)

 「楽しむ」という用語は、満足を意味します。わたしたちは楽しい事柄には、できることなら、四六時中浸りきっていたいと思います。その事を思うほどに気分が爽快になるのです。車が好きな人は、車をいじり、車を運転し、車の本を読み、カーアクセサリーを集めます。寝ても覚めても車のことを考えることが楽しいのです。
ダビデは神ご自身を楽しんでいました。その心境を謳(うた)っています。「わたしが床の上であなたを思い出し、夜のふけるままにあなたを深く思うとき、わたしの魂は髄(ずい)とあぶらとをもってもてなされるように飽き足り、わたしの口は喜びのくちびるをもってあなたをたたえる」(詩篇63:5)。
愛する者が相手のために最上のもの(命をも)を与えて愛の証を立てるように、彼は、神が無限の好意を自分に抱いてくださっていることを確信します。そのように、神はあなたに対しても善を計り、恵みで取り囲んでくださいます。一見、悪い状況だと思われる経験も、人知を超えた素晴らしい結果を予想することができるようにしてくださいます。何によってそのことを確信できるでしょうか。十字架という背景です。神が人間の持つすべての重荷を身代わりに担ってくださったという歴史的事実です。それは永遠の神の真実です。
神は罪人が救いを喜び歌う楽器となるよう望んでおられます。救いにあずかった人々は全員でハレルヤコーラスを歌うのです。各人は自分の生活そのものが旋律となることを望みます。「音楽家」は“音を楽しむ人”という意味です。クリスチャンは神を楽しむ人々です。神を楽しむ最高の証は、他の人々に救いの喜びを伝えずにはおれない心境です。歓喜は自己の内にとどめておくことができません。唇を突いて飛び出し、賛美し、生活全体が音色を奏でます。あなたの人生経験が美しい音色を奏でる日々でありますように。



0 件のコメント:

コメントを投稿