2016年3月15日火曜日

救いの香り

救いの香り  


「命から命に至らせる香り」(コリント第2、2の16)

 神の直接のみわざは命をもたらす活動です。「神のいやしの力は、自然のあらゆるものに見られる。木が切られたり、人が負傷したり骨折したりすると、自然はすぐにその傷の害を回復し始める。いやしの働きは、その必要が起こる前から用意されていて、ある部分が傷つくと同時に、一切のエネルギーは回復の働きのために注がれる。霊的な世界においても同じである」(E・G・ホワイト著「教育」136頁)。 キリストの精神に生きる者は、このように自己の存在そのものが周りにいやしと元気を与える香りでありたいと望みます。食品会社「三育フーズ」の前身にあたる食品工場が三育学院カレッジの労働部門として学生たちの勤労精神養成と技術習得の場であったとき、そこのパン工場で働くSさんは神学部の先輩で、わたしと同室でした。彼は授業よりも労働に力を入れていました。ある日の昼食前、彼はパン工場から寮に戻ってきました。たちまち部屋の空気が一変し、美味しそうなパンのにおいが充満したのです。空腹だったわたしは思わず叫びました。「S先輩!あなたを喰ってしまいたいよ!」。早朝からお昼までパン工場にいた彼は、すっかりパンのにおい漬けになっており、彼自身は気づかずにいたのですが、周辺に焼き立てのパンの香りをふりまいていたのです。キリストとの交わりの中に日を過ごす者はこれ似ています。意志的な活動だけではなく、無意識的な感化をまわりに及ぼすものです。言葉づかいやふるまい、微笑などによって接触する人々に命と元気をもたらします。「愛はすべての過ちをおおう」「優しい舌は命の木である」「ここちよい言葉は蜂蜜のように、魂に甘く、からだを健やかにする」(箴言10の12、15の4、16の24)などの聖句に見られるように、神のご臨在のうちに幾分留まる者は、無意識のうちに周辺に天国の雰囲気をかもしだす力となりましょう。

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