2016年3月15日火曜日

神を見る

神を見る

  「心の清い人々は、幸いである。その人たちは神を見る」(マタイ5:8)

フィリピンのセミナリーで学んだ1年半の最後の仕上げは、パナイ島での1ヶ月間に亘る連続伝道講演会のお手伝いでした。その間に、1泊2日間のお休みを頂いたことがありました。アジアで働く15人の牧師たちと共に、滞在地からバスで3時間、舟で20分の小さな島ボラカイ島に行きました。透明度の高い海の深い所は紺碧、浅瀬はエメラルドグリーン、海から眺めた島は白砂のラインに緑の椰子の葉が立ち並び、何かのグラビア写真で見た光景そのものでした。海のきれいなことに皆口々に感嘆していると、まもなく舟は真っ白な砂浜にすべり込みました。ひとりの韓牧師は、うれしさのあまりズボンをまくりあげ、深さ30センチほどと見た岸辺で舟から飛び降りたのです。ところが、彼のからだは頭まで水面下にもぐりこんでしまいました。そこは彼の身長よりも深かったのです。澄んだ世界は深い所でもすぐ近くに見えるものですね。

「心の清い人々」は、見えない神、いと高き天の神を見ています。「心の清い人々」は罪のない人のことではありません。むしろ自分の罪深きことがよく見えるのです。「心の清い人」とは、自分の罪深さについて正直な人、心が真っ直ぐな人で、何に目を向けたら良いのかが分かる人です。神の臨在を身近に体験した人は、さらに神を見ることを求める経験に入ります。神が見えると自分が見え、自分の生き方が分かり、人生の本当の意味が見えてきます。自分で心を清くすることが出来ません。キリストがあなたの心を清くしてくださいます。あなたの目をキリストに向けさえすればよいのです。すると、あなたを清くするキリストのみわざがはじまるのです。


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