2016年3月15日火曜日

神のみ手にある駒

神のみ手にある駒 
  

「神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということをわたしたちは知っています」(ローマ人への手紙8;28)

神を愛する者とは、すべての瞬間に神の意志が働いていることを知っている人々のことです。この事実に目が開かれますと、人生に新しい視点を持つスタート地点に立ちます。世界観、人生観がまったく新しくなります。
じゅうたんの裏側は、織り糸が複雑に入り乱れて走っています。一見、わけが分かりません。しかし裏を返して、その表を見ると見事な孔雀の絵が描かれていたりします。人生は、一見矛盾に満ちているようですが、神は、あなたの人生のための完全な絵を用意しておられます。この世の艱難や悩みは、あなたの救いを遠ざける勢力にはなり得ません。信仰によれば、むしろ、それらはあなたの至福へと前進させる神の手のうちにある駒となります。
聖書によれば、神の呼び名は百以上あります。そのうちの一つは「不思議」です。神は、わたしたちの見通しを超越する不思議を行う方です。神がわたしたちに試練に会うことを許される時、わたしたちが神の絶大な愛の対象であることを確信する機会となります。試練は、わたしたちの人間性の弱さに目を開かせ、救いの永遠の保証であられるキリストに堅く立つよう導きます。人生の終わりに立って、わたしたちは困難が祝福であったことを確証できるようになります。災難だと思われたことが働いて益となり、失望と思われたことが働いて偉大な祝福となることを知るには、年を取る必要はありません。大事なことは神に対して謙虚になることです。神のわたしたちに対する永遠の目的は、恵みによって罪人を救うことです。


将棋の駒は王将を含めて20あります。すべての駒の目的は相手の王将を詰めるというこの一点にあります。神は、あなたの身の周りの万事を支配しておられます。あなたに対する神の御目的はどの一点にあるか、もうお分かりかと思います。あなたが経験するすべてに新しい恵みを発見なさいますように。

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