2016年2月9日火曜日

非暴力と十字架

   非暴力と十字架


  「平和を愛する人たちは幸いである。彼らは神の子と呼ばれるであろう」(マタイによる福音書5:8)
 
 インド独立の父マハトマ・ガンジーを祖父に持つアルン・ガンジー氏が平成10年に日本で講演したことがあります。非暴力の象徴として、しばしばガンジーの名が引き合いに出されますが、その精神は祖父から父、孫へと受け継がれていったそうです。「16歳の頃、父を車に乗せて出かけました。帰りの約束時間に遅れてしまった時、その訳を正直に言えませんでした。息子のうそを見抜いた父は、『育て方が間違っていた。それが何かを考えるため、歩いて帰る』と言って車を降り、18マイル(約30キロメートル)を5時間半かけて歩き続けました。私は自分のうそで苦しむ父を見て、生涯うそをつかないと決めました」とアルン氏。「過ち」を力でなく、言葉でもなく、行動で教え諭(さと)す人。そして、それを受けとめることの出来る心。非暴力の世界を実現するためには、「心の変革」が必要であるとアルン氏は受け継がれた精神を語り伝えました。
ガンジーは若い頃、イギリスに留学し、そこで聖書を読み、キリスト教の影響を強く受けました。ヒンズー教徒としての立場を守り続けましたが、内面はキリスト教の精神に生きたと言われています。キリストの非暴力を旨とした生涯はその最たるものでした。


武力や腕力ではなく、徹底的に非暴力に生きるには、究極の結論をもたらす神への信仰と隣人に対する温かい思いがなければ実現しません。信仰と希望と愛、これは三つよりの綱のように固く結ばれています。あなた自身の人間性の中に、これを希望する思いがあるなら、あなたは神に結ばれる道を持っていると言えるでしょう。

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